私の祖父 (Meu avô) – 日本語版

祖父は白いパンツで真ん中にすあっている人 日本の移民を探したとき、なにげなく移民についてのサイトを見つけました。そのサイトに祖父の記録がありました!祖父はブラジルに着いて、15歳でした。サイトは下にあります: http://museudaimigracao.org.br/acervodigital/livros.php?pesq=1&nome=&sobrenome=yasuoka&nacionalidade=&chegada=&vapor=&Reset2=Pesquisar 祖父は1928年に広島から来ました。そのとき、祖父はブラジルに来てなかったら, 戦争の為に安岡家族は存在しなかったでそしょうかな〜、と思います。 サントス港に土地した移民は電車でブラス(Brás, bairro de São Paulo)まで行って、移民の宿に泊まって、後でサンパウロ内の百姓まで行ってましたとサイトに書いてあります。 日本のじょうけんはよくなかったので、祖父のお姉さんはブラジル – 将来の国 – に来たと私の母は言いました。移民のサイトに、祖父のお姉さんは子供が二人、2歳と4歳と書いてあります。南米に来るきょかは働く人が二人の必要で、私の祖父も来ました。あの時祖父は15歳でした。 ハワイマルで、3ヶ月たって、1928年6月13日にブラジルに着きました:   下に祖父のお姉さんの家族、星野家族のきろくがあります。祖父は最後に書いてあります:安岡好太郎。 きろくに、星野家族はヒフアイナ(Hifaina)と言うサンパウロ市に働くつもりと書いているのですが、多分バストス(Bastos)と言うサンパウロ市に行ったと母は言いました。 祖父は1936年に帰国して、私の祖母と結婚しました。戦争にぼしゅうするかのうせいがあって、ブラジルに戻りました。祖母はかんごの勉強中だったので、勉強を終わって、ブラジルに来ました。下のサイトに移民のきろくがあります: http://www.museubunkyo.org.br/ashiato/web2/Familia.asp?IdRegistro=55753&Lista=S&Idioma=P&Provincia=999&Busca=yasuoka&PAGATUAL2=3 下に祖母のきろくです。祖母は”La Plata-Maru”で来て、1ヶ月半ぐらいたって、サンパウロに着きました。 面白いでしょう。家族も日本の移民だったら、探してみてね。